エッセイストやコラムニストは自由な筆致で書けばよいと思いますが、ある事実を広く伝える記者風の仕事をするならば、正しい日本語で、伝わりやすい文章と構成にしていく必要があります。
職業としてカタカナで「ライター」を名乗る方の中には、下積みの経験がない人もかなりいらっしゃるでしょう。ひょんなことから物事をつづる道に進んだ場合、勉強をする時間もなかったと思います。しかし、私たちはせっかく日本語という美しい言語を操っているのですから、正しく、美しく伝える努力はしてほしいものです。
私は「記者」を出発点に持つ人間ですので(名刺の肩書きも「記者」としています)、どうしても書き方は尊敬する先輩から教えてもらったものがベースにあります。そして幸か不幸かネットで目に留まった記事が、新聞記者や相応の経験を積んだライターによって書かれたのか、そうではない人によって書かれたのか、文章の“見た目”だけでもすぐに分かってしまうのです。私の価値観から言えば前者は美しく、後者は汚さを感じます。
見た目の汚い記事は読みたくないものです。ただ、文章の内容は別の問題であり、汚らしい筆なのに鋭い記事もあれば、美しいのにひどい中身もあります。とはいえ往々にして連関するもの。人の内面がしぐさや清潔さに出てくるのと同じでしょう。ぜひとも見た目も美しい記事を書いていってほしいですね。
美しさと新聞記事
現代日本語を使う文章において新聞記事は一つの完成形に達しています。構成と書き方の両面で無駄がなく、リズムの良いものがほとんど。ものを書いて誰かに伝えたいという人にとって、新聞記事は格好のお手本になるでしょう。少しでも技術を会得しておくと応用も利きます。
例えば全国紙や主要地方紙、経済紙などの新聞記事を10本くらい読んで、構成や書き方の特徴を書き出してみてください。単なる事件ものの記事だけではなく、社説、1面下のコラムなど新聞社内の偉い人が書いた記事を含んでも問題ありません。記事を読むと内容面でイラッとすることがあるかもしれませんが、挙げるのは内容ではなく構成と書き方です。
インターネットに転がっている文章や自分自身が書いた文章と比較して、新聞記事にはどのような差異があるのか箇条書きにしていくと、いろいろな気づきがあるはずです。文の冒頭はどうなっているか。一文の仕舞いはどうなっているか。長さはどうか。漢字の選択、代名詞の置き方、接続詞の使い方はどうか。読点や記号はどこに打たれているか。細かいところを見つめると、十指に余る違いが見えてきます。
記事のスマートなパッケージ
こんな特徴もあります。新聞記事ゆえのおもしろさですが、紙面に空きがない場合に大胆に削れるように、一つ一つの段落で文が完結するようになっています。最後の段落を読まなかったとしても何となく意味が通じますし、もしかしたら新聞に載っている記事はどこかの段落が落とされたあとかもしれません。実は私が書いているこの文章も、冒頭から5段落目までは前後を入れ替えたり、切り貼りされたとしても、なんとか意味が通じます。
「段落を入れ替えても通じてしまう。だけど、ここだけは入れ替えて欲しくない」。そんな時の必殺技になるのが、副詞や接続詞、代名詞など前後の文章のつながりを示す言葉です。本稿6段落目は「例えば」で始まっているので、必ず一つ前の段落との関わりがあります。8段落目も「こんな」で始まっているので、やはり前の段落との関係性を感じます。
副詞、接続詞、代名詞などを冒頭に乱発するのは美しくありませんが(新聞記事の冒頭は一般名詞や固有名詞が多いのにも気づくでしょう)、いざというときに「順番を変えるなよ」を無言で訴える言葉にはなるのです。
ちょっと話が逸れました。なんにせよ新聞記事にヒントを求め、そこから勉強し、正しく、美しい記事を書くヒントを探してほしいと思います。基礎作りは大切です。
